私のプロフィール
     氏名           吉 田 周 二
    住所 岡山市S本町1丁目8番3−302号
 

    職業    当面の間、リタイヤしています
    年齢           1950年生まれ
    学歴    東海大学工学部動力機械工学科卒
    趣味               鉄道模型
    バックグラウンド

 
 私の祖父は獣医だった。若い頃、岡山県の職員だったそうな。2007年、夏、101才で、亡くなりました。2009年、冬、102才で、おばあさんも亡くなりました。
亡くなった祖父は、北海道の森町近辺をよく歩き、岡山県に酪農を導入した人と聞いている。
 亡くなった祖父が出張から帰って来た時のお土産は、リュックサックにいっぱいのニシンだったと、私の母は言う。
 
 私の父は、宮沢賢治にあこがれて、岡山から、はるばる岩手県の盛岡高等農林学校へ遊学したそうな。でも、学徒で満州出兵、敗戦でシベリア抑留3年、ポツダム大尉だったとのこと。
 命からがら日本へ帰国、復学し、もう1年学校へ、卒業して岡山に帰り、井原市で中学の教員を少々したらしい。そして、私が生まれたとのこと。
 父は、私が30才の時、62才で死んだ。孫の顔は見せることができたのだが、早死にだ。国の為に働き、家族の為に働き、自分の為に生きられたのは、最後の2〜3年だった。

 さて、私は農業機械メーカーの開発員として、北海道から九州まで年間150日位、23年間出張し続けていました。60才になった今、はたして何が出来るのか考えてみると、私には、新製品造りに明け暮れた日々の知識と、全国にわたる人脈がある。これを持って、残り、会社が望み続ける限り働き、自分の存在を感じたい。

課長歴、通算27年の万年課長、出世しないのだ。ははは。
2011年、1月にまたまた、転職してついに、参与となったのだ。わっはっは。
笑って頂戴。
ところが、1年で、特別社員契約を打ち切られました。
貴方の様な高額の給与は払えないと総務に言われまして、退職しました。
ビンボー会社に、60才になって、再就職した、私がバカよ。

   我が愛妻は、岡山市内某病院勤務の看護婦です。
   
   母親は、私たちの住んでいる、マンションと道をはさんで、
   向かいの一戸建て自宅にスープの冷めない距離を維持して、
   一人暮らししています。
   
   長男は、国立の大学院を卒業。
   めでたく、工学博士になりました。
   家電大手のT芝、研究開発センターに努めています。
   次男は、私と同じ会社に勤めていましたが、離婚騒動で、辞めました。
   孫が、又、生まれたようです。只今、勘当中。

早く、おれを楽にしてくれ。お金くれなくていいから、、、。
自分で生きてくれ。俺は、女房と、楽しく残りの人生を生きます。
2011年、1月、定年になって、やっと、岡山に帰れました。
2012年1月、年金暮らしとなった。
しかし、苦難は、続く、いまや、良く言えば、鉄道模型作家なのだ。
主夫をしながら、バイトを自宅でやっているに過ぎないのです。